最初は小さく取り扱われるに過ぎなかったこれら話題は、徐々に勢いを増してゆき、熱を帯び、やがてはインターネット上でも次々と検索されるようになり、最後は全国規模のテレビニュースや新聞でも取り上げられるようになった。かくして、これまでは「大鹿村」という単語など知らないような人々にいたるまで、大鹿村に関する話題を目にするようになったわけだが、この状況を仕掛けた圭吾はまだ満足していなかった。
「まだだ。もっと、もっとより多くの情報の発信を!」
圭吾はさらに手を打っていった。友人や知人を通じて働きかけをおこない、芸能人や有名人を使って「大鹿村」に関する話題を取り上げてもらったのだ。特に、特産品に関する情報を積極的に発信してもらい、興味や関心を引き寄せることに成功した。特産品は、これからBDCの主力事業として成長してもらわなければならない産業だから、いまから人々の耳目を向けさせる必要がある。扱う特産品を卸す時の交渉材料にもなるし、興味をもった若者が自発的に第一次産業に参入してくれれば願ったりといったところだ。
十何度目かになる会議の席にて、特産品の担当を任されている山岸から次のような報告がなされた。
「最近、大鹿村の特産品が大盛況だそうです。東京の銀座に出店している長野県のアンテナショップでは、大鹿村関連の商品が飛ぶように売れており、また、遠くからわざわざ村に買いにくる人もいるようで、山塩に関連する商品は売り切れ続出、ジビエ関連にいたっても、前年同期と比較して三倍もの売り上げに達しています」
「良い状況だ。大鹿村や我々の存在を周知するという当初の目的は、まずは成功したといっていいな」
圭吾は頷いた。目に見える成果が上がったことを、彼は素直に喜んだのだ。